FOUNDER'S STORY

1986年生まれ。慶應義塾大学SFC卒。ジャカルタ育ち。ファッションモデルの両親の元生まれ、ジャカルタで様々な社会情勢を目の当たりにしながら育った。中学生の頃から国際人権NGOなどでファッションを切り口とした難民支援活動をはじめる。大学卒業後はアクセンチュア戦略コンサルタントを経て、ハリウッドランチマーケットでの海外事業を担当。その後、Over the Rainbowを創業し「持ち主だった人の物語付きヴィンテージアイテムの販売」をはじめ、様々な世界を変えるファッションビジネスを生み出している。原宿店を基点に、ブランドのファンとなったガールズ (約6万人 2020年現在) のコミュニティと共に、企業や行政とコラボレーションしながら新しい世界を変えるビジネスも生み出している。



8歳

阪神大震災。神戸市東灘区で被災

 

この年は「ボランティア元年」とも言われ、復興する街やコミュニティを見ながら「助け合いの力」を知る


12歳

父の仕事の関係で、インドネシア・ジャカルタへ。
アジア通貨危機、独裁政権崩壊や内戦をまのあたりにし、政府命令の強制帰国で日本へ。
助け合いの大切さと共に「多くの人に、世界の事実を伝え、社会が変わる仕組みを作らなければ。」そんな想いを抱きはじめる。

14歳 


日本に帰国後、国際人権NGO アムネスティ・インターナショナルで、日本に逃げてきている難民申請者及び難民の支援活動を実施。その中で、資金調達やミッションマネジメントの難しさなどから、「社会問題解決においてビジネスモデルを持つ大切さ」に気付く。また、難民支援関連の政策改善を促すため、市民への問題への認知度を上げるため、セミナーなどを開催しても関心のある人しか集まらず、「社会問題解決におけるマーケティング要素の大切さ」を知った。

 

18歳 


人権NGOで得た問題意識をもとに、よりビジネスの視点を持ちながら、多くの人に認知されるソリューションとして、難民支援につながるエシカルアクセサリーブランド「Pink Sugar」を起業。大学生協などと連携し販売。計14000本のネックレスを1年で完売させるも、そんな中で「”エシカル”と言うと結局もともとそれなりに社会問題解決に関心があった人」がターゲットとなってしまっており、本当の意味で社会全体を巻き込めていないのではないか?というエシカルマーケティングの限界に気付いた

 

 

22歳

マーケティングやビジネススキルを鍛えるため、アクセンチュアへ新卒入社。

戦略コンサルタントとして、多くの消費材メーカーのマーケティング戦略や海外進出戦略に携わる。

 

24歳 ハリウッドランチマーケットにて、海外事業や店舗改革に携わる。

 

   

25歳 

もやもや病(ウイリス動脈輪閉塞症)という脳血管の難病である事がわかる。
闘病の中で同じ病気の人の当事者会に行ったりする経験の中で「”社会貢献が特別な選択肢ではなく、個人が当事者意識を持つ事や自分自身や身近な人を大切に想い行動する”..そんな日常の中での行動が社会問題解決の要である事」に気付いた。

 

開頭手術後の入院中の病室でOver the Rainbowを創業。 

自らの経験や培ったスキルを活かして、多くの仲間と一緒に「ガールズが身近な所から社会を変える」を仕掛けている。